西遊記

にんにきにきにき にんににきにきにしんが三蔵
西へむかうぞ にんにきにきにきに
go go west 






仏教

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三蔵法師 玄奘は西暦600年頃(602年)生まれました。天竺へ出立したのは629年、膨大なお経を携えて帰国したのは645年。天竺へ行くのに15年、帰ってくるのに2年程度だったそうです。行きの旅の途中のいろんな場所で引き止められます。早く天竺へ着きたいという自分の側の気持ちもあったかもしれないのに、相手の側の都合に合わせていたので結果として15年もかかってしまったというのです。その代わりに帰りの旅では、いろんな場所で協力を得られすんなりと帰って来られたそうです。自分自身が急ぎでやりたいことがあるのに、他の人からの「頼みごと」をいちいち引き受けてしまうと、自分のやりたいことがうまく進まず時間がかかってしまうようにも思えます。ただし帰り道でいろいろ協力を得られたことを考慮すると、それほど時間のロスにはならなかったかもしれません。

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「知ったかブッタ」というマンガでは、一枚の板と四本の棒で机が出来ているという様子を知ったかブッタが想像しています。板と棒にばらすと机はなくなります。組み立てると机になります。またばらすと机はなくなります。知ったかブッタは「机って頭の中にあるんじゃないだろうか?」と考えます。

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中庸(弦を弱くはると音がでない。弦を強く張りすぎると切れてしまう。)
無常(常に変化している)
動中に静あり。静中に動あり(道教

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真言密教で、大日如来は「男女の和合」にも関係あるとのことです。但し言葉だけで、それを伝えようとすると、誤って伝わる可能性があるため、真言密教は「体ごと」伝える必要があると言うのです。「男女が一体となること」と「陰陽が一体になる」「天と地がつながる」「トップダウンボトムアップがうまくつながる」「宇宙の法則と一体となること」「上司と部下の意思疎通」に通じるものがあるのだろうと推測しています。

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地球の外のことを宇宙という考え方もあるかもしれませんが、宇宙は地球を含み、地球は宇宙の一部であると考えます。また地球が宇宙だとすると、自分の体の中だけが、宇宙ではないということもありません。自分の体の中や脳の中も宇宙の一部です。自分の脳の中にも宇宙が存在すると考え、瞑想します。もし宇宙そのものに意思が存在するのであれば、自分の心の中を観ることにより宇宙の意思を知ることができるかもしれません。自分の心の中にも宇宙の法則があると考えるのはフラクタル的です。2002.7.4

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般若心経の「はんにゃはらみた。。」の「はらみた」という部分は「あるがまま」という意味だそうです。「あるがまま」でいれば仏知が沸いてくるとも聞きました。欲やこだわりがあると「あるがまま」の自分でいることが難しいのかもしれません。2002.7.6

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「救われてみれば、救われることさえ必要なかった」という言葉を聞いたことがあります。

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